逆賊とは?読み方・意味・例文から朝敵との違い、戊辰戦争の歴史まで徹底解説【2026年版】
「逆賊」とは、主君に背き、謀反を起こした者を指す言葉です。読み方は「ぎゃくぞく」。歴史書や時代劇で使われることが多く、単に命令に反抗する人ではなく、主君や朝廷、既存の権力秩序に反逆する者という、強い非難の意味を含みます。
この言葉を理解するうえで重要なのが、「朝敵」「国賊」との違い、奈良時代の歴史書『続日本紀』に見られる用例、そして慶応4年(1868年)に始まった戊辰戦争です。かつての幕府側の人々が新政府から「朝敵」とされた経緯をたどると、逆賊という呼称には、反乱の事実だけでなく、誰が正統な権力を握るのかという政治的な問題も関わっていたことがわかります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 意味・読み方:逆賊は「ぎゃくぞく」と読み、主君に背いて謀反を起こした者を意味する。
- 言葉の違い:「朝敵」は朝廷の敵、「国賊」は国家に害を与える者を指し、逆賊とは判断の基準が異なる。
- 歴史的背景:『続日本紀』には養老6年(722年)の用例があり、戊辰戦争では徳川慶喜ら旧幕府側が朝敵・賊徒とされた。
【逆賊とは】読み方・意味を辞書からわかりやすく解説
逆賊の読み方は「ぎゃくぞく」です。「逆」は道理や命令に背くこと、「賊」は社会や秩序を害する者を表します。この二字が組み合わさることで、単なる反抗者ではなく、主君に背いて反乱を起こした者という意味になります。
コトバンクに掲載されている小学館の『デジタル大辞泉』では、逆賊を「主君に背く者。謀反をなす者」と説明しています。また、『精選版 日本国語大辞典』では「主君にそむいた賊徒。むほんを起こした悪人。逆敵」と定義しています。
この二つの辞書の説明からわかるのは、逆賊が行為を中立的に表現する言葉ではないということです。「反乱を起こした人物」という事実の説明にとどまらず、その人物を秩序に背く悪しき存在として評価するニュアンスがあります。
ただし、逆賊と呼ばれた人物が、あらゆる時代や立場から悪人と評価されていたとは限りません。ある政権から反逆者とされた人物が、別の立場からは忠義を尽くした人物や、新しい秩序を求めた人物として評価される場合もあります。
つまり、逆賊という言葉を理解する際は、誰に背いたとされているのか、どの権力がその人物を逆賊と呼んだのか、そして後世にどのように評価されているのかを区別することが大切です。

【歴史的背景】『続日本紀』に残る逆賊の用例と謀反の意味
逆賊という言葉の歴史は古く、現代の国語辞典でも、奈良時代の歴史書『続日本紀』が用例として挙げられています。
コトバンク掲載の『精選版 日本国語大辞典』が初出の実例として示すのは、養老6年(722年)6月乙酉条の「諸国軍衆、親帥戦兵、殺獲逆賊」という記述です。辞書の引用表記では、戦兵を率いて逆賊を殺し捕らえたことを示す文言が記録されています。
ここで注意したいのは、辞書に挙げられた初出例が、必ずしも言葉の誕生した瞬間を意味するわけではないという点です。あくまで、現存する文献のうち辞書が確認できた初期の用例として理解するのが適切です。
『続日本紀』は、文武天皇の即位した697年から桓武天皇の時代に至るまでの朝廷の動向を記録した歴史書です。逆賊という語が登場することからも、国家や支配者に敵対する勢力を区別し、討伐の対象として位置づける表現が、古代の政治的な記録に存在していたことがわかります。
もっとも、722年の用例については、引用された一文だけで具体的な事件の全容や、当事者がどのような事情を抱えていたのかまで断定することはできません。歴史的な文脈を理解するには、該当する年月日の記事や前後の記録をあわせて読む必要があります。
また、逆賊と深く関係する言葉に「謀反」があります。『デジタル大辞泉』では、謀反を、時の為政者に反逆すること、国家・朝廷・君主に背いて兵を挙げることなどと説明しています。
両者の違いは、逆賊が主に反逆した人物を指すのに対し、謀反は反逆する行為や計画を指すことです。たとえば、「謀反を起こした者が逆賊と呼ばれた」という文章では、行為と人物を明確に区別できます。
なお、古代の法令における「謀反」「謀叛」は、現代の一般的な使い方よりも厳密な法的意味を持つ場合があります。歴史資料を読むときには、現代語の感覚だけで解釈せず、当時の制度や法令上の定義にも目を向ける必要があります。
【比較表】逆賊・逆敵・朝敵・国賊の違いとは?
逆賊と混同されやすい言葉には、逆敵、朝敵、国賊があります。いずれも敵対や反逆を連想させますが、何に背いたのか、何を基準に非難しているのかが異なります。
| 言葉 | 基本的な意味 | 判断の基準 | 主な使い方・ニュアンス |
|---|---|---|---|
| 逆賊(ぎゃくぞく) | 主君に背き、謀反を起こした者 | 主君や支配秩序への反逆 | 歴史上の反逆者を非難する表現 |
| 逆敵(ぎゃくてき) | 逆賊と同義で使われる語 | 主君などへの反逆 | 辞書上の類義語。日常的な使用は限定的 |
| 朝敵(ちょうてき) | 朝廷に背く敵 | 天皇・朝廷との敵対関係 | 日本史上の政治的・軍事的な呼称 |
| 国賊(こくぞく) | 国家に害を与える者 | 国の利益や安全への損害 | 国家を害する人物を強く非難する表現 |
| 謀反(むほん) | 君主や政権に反逆すること | 反逆という行為・計画 | 人物ではなく、反逆そのものを表す |
この比較で押さえたいのは、逆賊・朝敵・国賊は意味が重なる場合があるものの、必ずしも同じ言葉ではないという点です。
逆賊と朝敵の違いは、非難の対象となる秩序にあります。逆賊は主君に背いた者を広く指しますが、朝敵は朝廷に敵対する者を意味します。日本史では、朝廷が討伐の対象とした勢力が逆賊と呼ばれることもあり、両者が重なって使われる場面があります。
逆賊と国賊の違いは、主君への反逆と国家への損害のどちらに重点があるかです。逆賊は君臣関係や政治的な秩序への反逆に結びつきやすく、国賊は国家の利益を害するという評価に重点があります。国賊は、主君に対する反逆がなくても使われ得る言葉です。
逆賊と逆敵の違いについては、辞書上では逆敵が逆賊の類義語として扱われています。そのため、両者に明確で普遍的な意味の境界があると考える必要はありません。ただし、一般的な文章では「逆賊」のほうが意味を理解されやすく、使用頻度の面でも扱いやすい表現です。
一方、「謀反」は人物ではなく行為を指す言葉です。「謀反を企てる」「謀反が発覚する」「逆賊と見なされる」というように使い分けると、文章の意味が明確になります。

【戊辰戦争】征夷大将軍の時代から朝敵へ、徳川慶喜が逆賊とされた経緯
逆賊という言葉が政治的な力を帯びた歴史的事例として、慶応4年(1868年)に始まった戊辰戦争が挙げられます。この戦争では、旧幕府側と新政府側が対立し、徳川慶喜や会津藩など旧幕府に関係する勢力が「朝敵」「賊徒」と位置づけられました。
この経緯を理解するには、当時の政権交代が単純な善悪の対立ではなかったことを押さえる必要があります。
徳川慶喜は1867年に大政奉還を行い、将軍職も辞していました。しかし、政権の実権を誰が握るのか、徳川家を新しい政治体制の中でどう扱うのかという問題は解決していませんでした。王政復古の大号令によって新政府が成立した後も、旧幕府勢力との緊張は続いていました。
アジア歴史資料センターの戊辰戦争に関する解説によると、戦争の発端となったのは、慶応4年1月3日(1868年1月27日)の鳥羽・伏見の戦いです。新政府軍が緒戦に勝利すると、追討令を発して江戸へ進軍しました。戦いは江戸開城の後も続き、東北地方や蝦夷地へと広がり、明治2年(1869年)5月の五稜郭の戦いで終結しました。
文化庁の文化遺産データベースで紹介されている「御制札之写」は、慶喜追討の布告を広めるために作られた瓦版です。解説によると、鳥羽・伏見の戦いの後、新政府は慶喜を「賊徒」「朝敵」として追討する方針を示しました。これは、反対勢力を単に軍事的な敵とするだけでなく、朝廷に敵対する存在として位置づけたことを示す史料です。
国立公文書館の『太政類典』にも、慶喜に従った諸侯の「反逆」が明らかになったとして官位を停止することなどを記した行政文書が残っています。こうした公的な文書は、当時の新政府がどのような論理で旧幕府側を処遇したのかを知る手がかりになります。
一方、旧幕府側から見れば、自らの行動には幕府への忠義や、それまでの政治秩序を守ろうとする意識がありました。京都守護職を務めた松平容保や、その配下として活動した新選組なども、旧幕府の側から見た役割と、新政府成立後の政治的な評価とを分けて考える必要があります。
ここで重要なのは、「征夷大将軍だった人物が一夜にして悪人になった」という単純な物語にしないことです。慶喜は戦争開始時点ですでに将軍職を辞しており、対立の背景には、大政奉還後の権力移行、軍事衝突、徳川家の処遇をめぐる政治的な駆け引きがありました。
つまり、逆賊や朝敵という呼称は、戦場で敵対した事実だけでなく、誰が正統な政府を代表するのかという争いとも結びついていたのです。
【逆賊の使い方・例文】類語との使い分けも解説
逆賊は、歴史の解説、小説、時代劇、政治的な対立を描く文章などで使われます。意味が強く、相手を反逆者として断罪する響きがあるため、日常会話では使用する場面を慎重に選ぶ必要があります。
逆賊の例文
- 新政府は、旧幕府側の勢力を逆賊と位置づけ、討伐の正当性を主張した。
- 歴史小説では、敗者が逆賊の汚名を背負う姿が描かれることがある。
- 主人公は、逆賊と呼ばれた父の真意を明らかにしようとした。
- 反対意見を述べただけの人物を、安易に逆賊と決めつけるべきではない。
- その武将は主君に反旗を翻したため、後世の記録で逆賊として扱われた。
これらの例文では、逆賊という言葉が歴史上の評価を表すのか、物語上の呼称なのか、現代の比喩的な非難なのかによって、受け取られ方が異なります。
特に現代の会話で使う場合は注意が必要です。仕事上の意見の相違や組織への異議申し立てをした人に対して逆賊と呼ぶと、単なる反対者ではなく、秩序を裏切った悪人だと断定する強い非難になります。軽い冗談のつもりでも、相手を過度に攻撃する表現になりかねません。
逆賊の類語には、反逆者、謀反人、逆臣、賊徒、叛徒などがあります。ただし、すべてを自由に置き換えられるわけではありません。
- 反逆者:権力や命令、既存の体制に反逆する人物。君主制に限らず、幅広い場面で使える。
- 謀反人:謀反を企てたり、実行したりする人物。反逆の計画や行為を強調する。
- 逆臣:主君に背いた臣下を指す。君臣関係を強く意識した歴史的な表現。
- 賊徒:集団的な反乱者や、秩序を乱す者を指すことがある。個人よりも集団を表す文脈にも適する。
- 国賊:国家に害を与えると非難される人物。主君への反逆とは限らない。
文章を選ぶときの判断基準は明快です。反逆という行為を広く説明したいなら「反逆者」、君主への反逆を強調したいなら「謀反人」や「逆臣」、国家への損害を問題にするなら「国賊」が適しています。「逆賊」は、主君や政治秩序に背いた者を、非難を込めて表現したい場合に使う言葉です。

【プロの結論】逆賊の汚名を着せられた理由は、勝者が歴史を決めるからなのか
逆賊という言葉を歴史的に考えるうえで、見落としてはならないのが、呼称を決める権力と、後世の評価との関係です。
戦争や政変の最中には、それぞれの勢力が自らの行動を正当化し、相手の行動を不当なものとして説明します。新政府が成立すれば、旧政権に属した人物が反逆者として扱われることがあります。反対に、旧政権が権力を維持していれば、反乱を起こした側が逆賊と呼ばれていた可能性もあります。
ただし、「勝者が歴史を決める」という説明だけですべてを理解するのも不十分です。歴史的な評価は、軍事的な勝敗だけでなく、当時の法制度、政治的な正統性、残された文書、後世の研究、社会の価値観などによって変化します。
戊辰戦争における「朝敵」という呼称も、その典型例です。新政府は朝廷の名のもとに旧幕府側を討伐することで、自らの政治的な正統性を主張しました。一方、旧幕府側にも、それまでの主従関係や政治秩序に基づく行動原理がありました。どちらの立場から史料を読むかによって、同じ人物や行動の意味づけが変わることがあります。
このため、逆賊という言葉を見かけたら、次の三点を確認することをおすすめします。
- 誰が逆賊と呼んだのか:朝廷、政権、敵対勢力、後世の歴史家など、呼称の主体を確認する。
- 何を根拠に逆賊とされたのか:反乱、主君への反逆、朝廷との敵対など、具体的な行為や政治的な理由を確かめる。
- 異なる立場の史料は何を伝えているか:公的な布告だけでなく、反対勢力側の文書や後世の研究も参照する。
この三つを意識すれば、逆賊という言葉を、単に「悪い人物」を意味する表現として受け取るのではなく、当時の政治や権力関係を読み解く手がかりとして活用できます。
歴史上の人物に対する評価は、時代や立場によって変わり得ます。しかし、評価が変わることと、史料に記された具体的な行為がなかったことになるのは別問題です。人物の行動と、その行動に与えられた政治的な評価を切り分けることが、歴史を正確に理解するための出発点です。
【逆賊とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:逆賊は何と読みますか?
A1:逆賊は「ぎゃくぞく」と読みます。主君に背き、謀反を起こした者を意味する言葉です。
Q2:逆賊と朝敵は同じ意味ですか?
A2:同じではありません。逆賊は主君に背いた者を広く指し、朝敵は朝廷に敵対する者を指します。日本史では意味が重なる場合がありますが、朝敵のほうが朝廷との関係を明確に示す表現です。
Q3:逆賊と国賊の違いは何ですか?
A3:逆賊は主君や政治的な秩序への反逆に重点があり、国賊は国家の利益を害することに重点があります。国賊は必ずしも主君に反逆した人物を意味するわけではありません。
Q4:『続日本紀』に逆賊という言葉は登場しますか?
A4:はい。コトバンク掲載の『精選版 日本国語大辞典』は、養老6年(722年)6月乙酉条の「諸国軍衆、親帥戦兵、殺獲逆賊」という記述を初出の実例として挙げています。
Q5:徳川慶喜はなぜ朝敵とされたのですか?
A5:大政奉還後も新政府と旧幕府勢力の対立が続き、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いで武力衝突が起きたためです。新政府は慶喜を「賊徒」「朝敵」と位置づけて追討を進めました。背景には、政権の正統性や徳川家の処遇をめぐる政治的対立がありました。
まとめ:逆賊の意味を理解し、歴史上の評価を見極める
逆賊とは「ぎゃくぞく」と読み、主君に背いて謀反を起こした者を意味する言葉です。辞書では「逆敵」が類義語として挙げられ、「朝敵」は朝廷の敵、「国賊」は国家に害を与える者という違いがあります。
『続日本紀』には養老6年(722年)の用例があり、逆賊という言葉が古代の歴史記録にも登場します。また、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、徳川慶喜ら旧幕府側が新政府から朝敵・賊徒と位置づけられました。この事例は、逆賊という呼称が政治的な正統性や権力関係と密接に結びついていたことを示しています。
言葉の使い方としては、歴史上の反逆者を説明する場合には適切ですが、現代の日常生活で反対意見を述べた人などに使うと、過度に強い非難となる可能性があります。
逆賊という言葉を正しく理解するためには、辞書的な意味だけでなく、誰が誰を逆賊と呼んだのか、その根拠は何か、異なる立場の史料はどのように伝えているのかを確認することが大切です。言葉に含まれる評価と、歴史上の事実を分けて考えることが、人物や出来事を多角的に理解するための判断基準になります。 (出典: 逆賊 と は(Yahoo!ニュース))