共産党と創価学会はなぜ対立し、協定を結んだのか?2026年の関係まで徹底解説

目次
共産党と創価学会はなぜ対立し、協定を結んだのか?2026年の関係まで徹底解説
共産党と創価学会はなぜ対立し、協定を結んだのか?2026年の関係まで徹底解説
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 共産党と創価学会はなぜ対立し、協定を結んだのか?2026年の関係まで徹底解説

共産党と創価学会の関係は、長年の対立だけでは説明できない。1960年代後半には、藤原弘達の著書『創価学会を斬る』をめぐる言論出版妨害事件が政治問題となった一方、1974年には日本共産党と創価学会が「創共協定」を締結した。激しく対立していた両者が、なぜ相互理解と共存を掲げる協定に至ったのか。その背景には、宗教と政治の関係、組織の自主性、そして当時の政界を取り巻く複雑な事情があった。

2026年10月現在、両者の関係を理解するうえでも、この歴史は欠かせない。日本共産党と公明党の政治的立場の違いに加え、中道改革連合をめぐる野党再編や、10月の日本共産党の党方針をめぐる報道も、現在の政治環境を考える材料になる。創共協定の内容とその後、藤原弘達や田中角栄の関与、創価学会と公明党の組織上の関係まで、時系列に沿って整理する。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 対立の背景:言論出版妨害事件に象徴される政治的対立に加え、思想や組織運営をめぐる不信感があった。
  • 創共協定の実態:1974年12月28日に締結され、1975年7月27日に公表された相互尊重・共存を目指す協定で、選挙協力を目的とした政党連合ではない。
  • 2026年の関係:創価学会と日本共産党が恒常的な政治連携に復帰したことを示す公表は見当たらず、両者の歴史的経緯と現在の政治的立場は分けて理解する必要がある。

【まず整理】日本共産党・創価学会・公明党は何が違うのか

「共産党と創価学会」というキーワードで混同されやすいのが、日本共産党、公明党、創価学会という三つの組織の関係だ。それぞれの役割を整理すると、対立の構造が見えやすくなる。

日本共産党は、社会主義・共産主義の思想的伝統を持つ政党である。政策面では、暮らしや社会保障、労働者の権利、憲法9条を生かした平和外交などを重視している。宗教については、党の公式見解で信教の自由を擁護し、政教分離の徹底を掲げている。

創価学会は、日蓮仏法を基盤とする宗教団体だ。一方、公明党は1964年11月17日に結成された政党で、創価学会との間に歴史的・組織的なつながりがある。公明党の公式説明では、創価学会は支持団体、公明党はその支持を受ける政党という関係に位置づけられている。

したがって、日本共産党と創価学会の対立は、単純に「二つの政党の争い」と捉えると実態を見誤る。政党と宗教団体という性格の異なる組織が、政治への関わり方や社会的影響力をめぐって衝突してきた歴史なのである。

なお、創価学会と公明党の関係については、支持・協力の実態を重視する見方がある一方、政治活動に対する宗教団体の影響力を問題視する批判もある。公明党の公式見解と、外部からの評価は区別して読む必要がある。

当時のメディア報道・掲載写真
【検証資料 1】当時のメディア報道・掲載写真(出典:diamond.co.jp)

【1960年代後半】藤原弘達『創価学会を斬る』と田中角栄の関与

共産党と創価学会の対立を語るうえで欠かせないのが、1960年代後半から1970年にかけて政治問題化した「創価学会・公明党の言論出版妨害事件」だ。

焦点となったのは、政治学者・藤原弘達が執筆した『創価学会を斬る』である。創価学会や公明党に対する批判的な内容を含むこの本について、出版をめぐる圧力や、流通・広告の面での妨害があったと問題提起された。

日本共産党の公式解説によれば、公明党委員長の要請を受けた当時の自民党幹事長・田中角栄が、藤原に出版の中止を求め、出版する場合には初版分を買い取るという趣旨の申し入れをしたとされる。また、同党の説明では、大手取次店による全国への配本拒否、新聞広告や鉄道の中吊り広告の掲載拒否なども問題となった。

この経緯については、当事者の説明と歴史資料を区別して捉えることが大切だ。法政大学大原社会問題研究所の「社会・労働運動大年表」解説編によると、1969年12月13日のNHK総選挙特集番組で、日本共産党の松本善明が出版物をめぐる問題を取り上げ、公明党側は事実無根だと否定した。その後、国会でも取り上げられ、宗教団体と政治活動の関係を含めて政治問題へと発展した。

日本共産党は「しんぶん赤旗」などを通じて追及を続けた。党の公式説明では、池田大作会長(当時)は1970年5月、結果として言論妨害と受け取られ、関係者に圧力を感じさせたことなどについて「猛省」を表明したとされる。また、創価学会と公明党の関係を分離する方針も示された。

この事件が両者の歴史に残した意味は大きい。単なる出版業界のトラブルにとどまらず、批判的言論をどこまで許容するのか、宗教団体と政党の関係をどう考えるのかという、民主主義の根幹に関わる問題として認識されたからだ。

一方、日本共産党が事件を追及したことは、その後の両者の関係にも影響した。創価学会側から見れば、政治的・社会的な批判を強める相手との関係をどう管理するかが課題となり、日本共産党側から見れば、信教の自由と政治的な批判の自由をどう両立させるかが重要な論点となった。

【1974年の創共協定】なぜ対立から協定へと動いたのか

激しい対立を経た両者が、1974年に協定を結んだことは、一見すると意外な展開に映る。協定の正式名称は「創価学会と日本共産党との合意についての協定」。一般には「創共協定」と呼ばれ、相互不干渉や共存を目指したことから「十年協定」とも称される。

締結日は1974年12月28日。ただし、公表されたのは翌1975年7月27日だった。締結と公表の間に約7か月の開きがあった点も、この協定の経緯を理解するうえで押さえておきたい。

協定の中心にあったのは、両組織がそれぞれの自主性を尊重し、相互理解に努め、誹謗中傷を避けながら問題を話し合いで解決するという考え方だった。さらに、信教の自由や政治的自由の擁護、社会的不公平の是正、民衆の福祉、世界平和、核兵器廃絶など、共通の課題に取り組む方向性も盛り込まれた。

重要なのは、創共協定が思想の統一や選挙での共同戦線を直接目的としたものではなかったことだ。協定の内容から読み取れるのは、互いの組織の独立性を認め、対立を管理しながら共存を目指す姿勢である。

では、なぜ両者は合意に至ったのか。背景には、対立を続けるよりも相互の自主性を認め、批判や干渉を抑えることに双方の利点があったと考えられる。創価学会にとっては、共産党との対立を緩和し、組織への政治的な批判をめぐる緊張を管理する意味があった。一方、日本共産党にとっては、信教の自由を擁護する立場を明確にし、政治的・社会的な共通課題で対話の余地を確保する意味があった。

ただし、両者が合意に至った動機の解釈には違いがある。創共協定の舞台裏を扱った研究・著作では、共産党側と創価学会側で協定の受け止め方が異なっていたことも論点になっている。協定を「歴史的和解」とだけ捉えるのではなく、相互に異なる利害を抱えた組織が、どこまで共存できるかを模索した試みと見る方が実態に近い。

活動歴および当時の関連ビジュアル記録
【検証資料 2】活動歴および当時の関連ビジュアル記録(出典:m.media-amazon.com)

【歴史年表・政治比較】創共協定の内容と両者の立場

対立から協定、そしてその後の関係を時系列で並べると、両者が常に敵対していたわけでも、協定によって恒常的な協力関係が成立したわけでもないことが分かる。

時期出来事・政治的立場意味・ポイント
1964年11月公明党が結成される創価学会と公明党の政治的なつながりが形成される。
1969年『創価学会を斬る』をめぐる問題が表面化出版・流通への圧力が問題となり、政治的対立が深まる。
1970年5月池田大作会長(当時)が言論出版問題について猛省を表明したとされる言論の自由と創価学会・公明党の関係が大きな政治課題となる。
1974年12月28日創共協定を締結相互尊重、相互理解、共存を目指す合意が成立する。
1975年7月27日創共協定を公表協定の存在が広く知られるようになる。
1975年以降協定の実効性が次第に薄れる恒常的な政治連携には発展せず、協定の評価や経緯には複数の見方がある。
2026年10月野党再編と日本共産党の方針をめぐる議論創価学会との直接的な和解ではなく、現在の政党配置の変化として捉える必要がある。

現在の政治的立場を比較する際には、宗教団体である創価学会と、政党である日本共産党を同列に並べないことも重要だ。比較対象として適切なのは、日本共産党と公明党の政策や、日本共産党と創価学会の組織的な関係である。

日本共産党は、社会主義・共産主義の思想的伝統を背景に、格差是正、労働者の権利、社会保障の充実、憲法9条を生かした平和外交などを掲げている。宗教については、信教の自由を無条件で擁護し、国家による宗教への介入を避けるべきだという立場を公式に示している。

公明党は、公式綱領で「生命・生活・生存」を重視する人間主義を掲げ、福祉や生活者の視点を重視している。創価学会は宗教活動を行う組織であり、政党のように政策綱領を掲げて選挙で議席を争う組織ではない。

両党には、福祉や平和を重視する政策上の接点が生まれる余地がある一方、思想的な伝統、政党と宗教団体の関係、外交・安全保障などの具体的な政策には違いがある。個別政策で意見が一致することと、組織として協定を結ぶことは別問題である。

【協定のその後】創共協定はなぜ長続きしなかったのか

創共協定は締結・公表されたものの、両者が継続的な政治連携を築く土台にはならなかった。協定のその後を扱う研究・著作や宗教関連の資料では、締結後まもなく実効性が薄れたとする見方が紹介されている。

背景の一つとして指摘されるのが、協定の意味をめぐる認識の違いだ。相互に干渉せず共存することを重視する立場と、政治的な共闘へ発展する可能性を重視する立場とでは、同じ合意でも期待する成果が異なる。双方の政治的な利害が一致しなければ、協定を長期的な協力関係へと発展させるのは難しい。

また、創価学会と公明党は、自民党をはじめとする他の政治勢力との関係も考慮しなければならなかった。日本共産党との協定をどのように位置づけるかは、両者の間だけで完結する問題ではなく、当時の政界全体の動きとも関係していた。

ただし、協定が機能しなくなった経緯や双方の意図については、関係者の証言や後年の研究によって説明が異なる。したがって、「最初から偽りの合意だった」と断定するのも、「両者が全面的に和解した」と解釈するのも適切ではない。

歴史的に重要なのは、激しい対立を経験した組織同士でも、一定の共存ルールを合意できる一方、合意文書だけでは長期的な信頼関係を維持できない場合があるという点だ。創共協定は、その可能性と限界の両方を示した事例といえる。

公の場での発言・インタビュー報道記録
【検証資料 3】公の場での発言・インタビュー報道記録(出典:lookaside.fbsbx.com)

【2026年最新】共産党と創価学会の現在の関係はどうなっている?

2026年10月現在、創価学会と日本共産党の関係を理解するうえでは、両者の直接的な関係と、周辺の政党再編を切り分けて考える必要がある。創共協定を現代版として復活させ、恒常的な共同戦線を組むといった動きが公表された状況にはない。

一方、政界では大きな変化が続いている。立憲民主党と公明党の衆院議員を中心に結成された中道改革連合は、2026年8月末に3党の合流継続を断念する方向となり、9月には分裂が決定的になったと報じられた。これは共産党と創価学会の直接的な和解を意味するものではないが、野党の構図が変化していることを示す動きだ。

さらに、共同通信は10月12日、日本共産党が翌年1月の党大会に向けて示した決議案をめぐり、国政選挙での野党共闘路線を転換する方針を表明したと報じた。10月14日に開かれた第10回中央委員会総会では、決議案から「市民と野党の共闘」という文言が外れたことも報じられている。

ただし、これを単純に「共産党が野党共闘を全面的に放棄した」と解釈するのは正確ではない。J-CASTニュースの10月13日付報道によると、田村智子委員長や志位和夫議長らは、路線転換という報道上の表現に異議を唱え、一致点に基づく共闘を追求する方針は変わらないと説明した。決議案の文言の変化と、党側が説明する政策方針を区別する必要がある。

こうした政治環境の変化は、共産党と公明党の今後の関係にも間接的な影響を与える可能性がある。ただし、野党再編の動きと、創価学会という宗教団体と日本共産党との関係は同じものではない。2026年の最新動向を評価する際にも、政党間の協力、宗教団体と政党の関係、歴史的な協定の三つを混同しないことが重要だ。

現時点で両者の関係を表すなら、過去には対立を緩和するための合意が成立したものの、それが現在の恒常的な政治連携に直結しているわけではない、という整理が妥当だろう。今後の動向を見る際には、当事者による正式発表や具体的な政策協力があるかどうかが判断材料になる。

【共産党創価学会】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:共産党と創価学会は、なぜ対立していたのですか?
A1:思想的な違いに加え、政治への関与や組織の影響力をめぐる不信感がありました。1960年代後半には、藤原弘達の『創価学会を斬る』をめぐる言論出版妨害問題が政治化し、両者の対立を象徴する出来事となりました。

Q2:創共協定とは何ですか?
A2:1974年12月28日に日本共産党と創価学会が締結し、1975年7月27日に公表した「創価学会と日本共産党との合意についての協定」です。相互尊重や相互理解、誹謗中傷の回避、信教の自由や平和への取り組みなどを掲げました。選挙での共同戦線を直接目的とした協定ではありません。

Q3:2026年現在、共産党と創価学会は和解していますか?
A3:創共協定という歴史的な合意はありましたが、現在の恒常的な政治連携を意味するものではありません。2026年10月時点では、両者が協定を再確認して共同戦線を組むといった動きは公表されていません。最新の政治情勢を確認する際には、創価学会と公明党の関係、そして日本共産党と他の野党との関係を分けて見る必要があります。

【プロの結論】共産党と創価学会の歴史から読み解くべきこと

共産党と創価学会の関係は、単純な敵対や和解という二択では整理できない。1960年代後半の言論出版妨害事件をめぐる政治的対立、1974年の創共協定、そして協定の実効性が薄れていった経緯には、思想の違いだけでなく、組織の自主性や政治的な利害が深く関わっていた。

創共協定の本質は、異なる思想を持つ組織が、互いの存在を認めながら共存するためのルールを設けようとした点にある。しかし、合意文書が存在することと、継続的な信頼や政治協力が成立することは別だ。その後の歴史は、組織間の合意を維持する難しさも示している。

このテーマを調べる際の判断基準は三つある。第一に、1969年の言論出版問題、1974年の締結、1975年の公表という歴史的事実を時系列で把握すること。第二に、創価学会と公明党を同一の組織として扱わず、それぞれの役割と公式見解を区別すること。第三に、2026年の野党再編に関する報道と、共産党・創価学会の直接的な関係を混同しないことだ。

共産党と創価学会の歴史を正しく理解することは、単に過去の政治事件を知るためだけではない。宗教と政治、言論の自由、組織の独立性、そして異なる立場の人々が共存する条件を考えるうえでも、創共協定は今なお検討に値する歴史的事例である。 (出典: 共産党 創価 学会(Yahoo!ニュース))

共産党創価学会
共産党創価学会
共産党創価学会